のレンの坂口です。
今年は全国各地で数年ぶりに夏祭りが通常開催され、賑わいが戻ってきています。
浴衣、花火、かき氷など日本の夏の風物詩といえるものは夏祭りに縁があるものが多いですが、縁日の金魚すくいでおなじみの”金魚”の存在も忘れてはなりません。
金魚と言えば日本の魚というイメージが強いですが、原産は中国です。
金魚は日本と同様に中国から欧米にも渡っています。しかしなぜか欧米ではさほどもてはやされることもなく、日本でばかり、本家中国をしのぐほどに普及し、受け入れられてきました。
なぜ金魚がこれほどまでに日本人に愛され、身近なものになっていったのか。
そこには日本独自の価値観、文化背景があったのではないでしょうか。
●金魚の誕生と日本への伝来
先述の通り、金魚の発祥は中国といわれています。
およそ1500年前の西暦500年ごろにフナ(ヒブナ)の突然変異によって生まれたというのが定説となっています。
金魚が中国から日本に初めて渡ってきたのは、今からおよそ500年前の室町時代。
ただこの頃の金魚は大変珍しく高価な存在で、一部の富裕階級のためのものでした。今のように一般庶民が飼えるようになったのは江戸時代に入ってからのことです。そのころは金魚を「こがねうを」と呼んでいたのではないかとの説もあります。
江戸時代までは武士階級にも一般大衆にも金魚を飼うほどのゆとりがありませんでしたが、戦国乱世から徳川幕府によって太平の世が訪れ、ようやく一般大衆でもペットを飼ったり園芸を楽しんだりする生活と気持ちの余裕ができてきたそうです。
ちなみに江戸時代に金魚が登場する俳句として最も古いものは、寛文七年(1667年)刊行の『新撰犬筑波集』であり、
「をどれるや狂言金魚秋の水」
という句が金魚を詠った最初の句といわれています。
〇なぜ金魚が日本人に愛されたのか
江戸時代に一般大衆にも広がった金魚ですが、ここまで日本人に親しまれてきた理由について考えてみたいと思います。
・小さきものを愛でる喜び
盆栽・生け花・一寸法師・折詰弁当 など日本人は「小さきもの」に心奪われてきました。
江戸時代は水槽で金魚を飼うのではなく、金魚玉というとても小さなガラスの鉢を吊るして観賞していたそうです。
小さきものを愛でる文化は、欧米とは異なる日本人の自然観から来るものといわれています。気候の安定して穏やかな西洋の自然に比べると、日本は地震や台風の脅威に常にさらされており、強大な自然の力に対して畏怖の念を抱いて暮らしてきました。
現実である「荒々しい自然」の脅威を逸らし、「美しい自然」の美しい部分を取り出し、美意識や生活に取り込む智慧を育んできました。
この気質は「縮み志向の日本人」と海外から否定的に指摘されることもあります。
駐日フランス大使のポール・クローデルは
「江戸の人たちにとって、自然から与えられた宝物とは、(大自然そのものでなく) 手の中に持てるもの、袖の内に隠すことのできるものだ」 という言葉を残しています。
しかしながら江戸時代の町民が9尺×2間(約3坪)という狭苦しい住空間で暮らす中で、金魚玉に入った美しい金魚を愛でることに「美しい自然」を見出すことは、とても豊かな感性だと思います。
小さきものや空間に宇宙の真理を見つけようとする視点は、実に日本らしい価値観・文化だといえるのではないでしょうか。
・当たり前のものではない、「不思議綺麗」
日本語の「綺麗」はもともと「奇麗」から来ており、単なる美しさではなくめずらしい姿を愛でる気持ちのことを表す言葉だったそうです。
江戸時代には、世間でおかしな人と見える者をあえて評価した「綺人伝」が流行したそう。
単に整っているという美的感覚ではなく、その奥に何かを秘めているような、すぐに説明がつかないが奇妙で珍しいものに美しさ・情を感じ取るという日本の美意識は、金魚を愛でるこころと共通するものがありそうです。
背びれがなく丸々とした体形の蘭鋳(らんちゅう)のような金魚が金魚の王様と呼ばれるのも、そのような日本の美意識から来るものなのかもしれませんね。
・のレン の金魚関連商品
日本に親しみ深い金魚。
俳句や浮世絵では題材として良く取り上げられ、浴衣をはじめとして和柄としても人気のモチーフとなっています。
のレンでも手ぬぐいやタオルの柄としてオリジナルの金魚柄商品が揃っています。
日本の夏の風物詩ともいえる金魚柄、是非生活に取り入れてみてください。